Dilemma
ドアをノックする音とパタパタと言う人が走る音が聞こえた。
時計を見ると今は明け方だったが、まだ人が起きるような時間ではないので不審に思った。
ひそひそと話し声がする、誰かが医務室に来たようだった。しかしこんな時間に誰が来るのだろう。
ゆっくりと体を起こす、まだ痛む背中を押さえながらベッドごとを区切っているカーテンをそっと開いた。隙間から誰が入ってきたのか見るためである。
「こんな時間にすいません。」
「いいんですよ、ルーピン。」
聞こえた声は少し掠れたようなリーマスのものだったことに私は吃驚した。
こんな時間に堂々と彼は学校内を徘徊し挙句怪我をして、マダムポンフリーもそれを黙認している。
そんなことがあるはずがない、きっと何か事情があるのだろう。
いけない、聞いてはいけない、と押し止める心を無視して私は二人の会話に耳を傾けた。

床と椅子がこすれる音がする、それと同時にカチャカチャという金属音が小さく響いた。
マダムが消毒しますよ、とリーマスに声を掛けそのあとに「痛っ」という悲鳴が聞こえた。
リーマスは酷くぼろぼろの姿だった、どうすればそんなに全身傷だらけになれるのか分からない。
そして同時に憔悴仕切って、けれど半ば諦めと慣れが表情に表れていた。
「本当にどうしてあなたがこんな目に…」
ちらりとカーテンの隙間から見えたマダムの顔は悲しみに満ちていてドキリとした。
その後に続く言葉が分からず私は首を捻った。
「どうしようもないんです、僕はホグワーツに入れただけでも嬉しいから」
どうしてリーマスはそんなに辛そうに話しているのだろう。私の頭の中は分からない事だらけでパンクしてしまいそうだ。
内容から推測するにリーマスには何か事情があって、ホグワーツにも入るのが困難だったらしい。
もしかして病弱なのかも、と私は推測した。あの細くどこか儚げな様子を見ていると納得できた。
しかしながらそれはこの大怪我とは関係なさそうだった。
痛いほどの沈黙が流れた。
私は会話に参加しているわけでもなく、彼らも私の存在に気付いているわけでもなかった。
それでも私はこの沈黙が痛く、沈黙は私に重く圧し掛かり激しく自己主張をしていた。
「仕方ない、僕は人狼なのだから」
その言葉を制すようマダムは「他の生徒が聞いていたら…!」と強い口調で返した。
リーマスは悪びれる様子もなく、むしろ自嘲するように誰もこんな時間に起きてませんよと言った。
こんな時間に起きている私も居るんですけど、と言いたくなるのをこらえた。
頭の中で『人狼』というキーワードがぐるぐる廻る。
古い記憶、思い出す父親の話、魔法界での人狼の扱い、変身後の獰猛さ。
私は冷や汗が出ているのに気がついた、急に怖ろしくなったのだ。
一度だけ私は今までに人狼に出会った事がある。絶対に出てはいけないと父親に言いつけられていたのに、好奇心は私とシリウスに部屋のドアをすこし開けさせた。
その日、うちにはフェンリール・グレイバックが来ていた。父親も母親も彼を嫌っていたが、あまり酷く邪険にする事はできなかった。
彼は人狼であり、闇の陣営の中では歯向かうものの子供を噛むことである、と後から私たちは知った。
ドアの隙間から見えたその男は帰る途中だったのだが、こちらでこっそり見ている私達に気がついた。
ぎょっとしてドアから距離をとったが彼の手は私を捕まえた、母親が息をのむのがわかった。
「ミスターブラック、裏切ったらどうなるか分かってるな」
その頃私は彼らが何の話をしているのか分からなかった。きっと、彼らは闇の陣営の一員だったから、そのような内容の話をしに来ていたのだろう。
父親は「裏切るわけがないだろう、早く娘を放せ」と落ち着いた声で、けれどハッキリと言い放った。
グレイバックに捕まった私は恐怖で頭の中がパニックだった。彼が何者かは分からなかったが、危険である事は理解できた。
「人は信用ならない。」
「あの御方も人間だ、人狼ではないだろう」
私をグレイバックが解放した後、にやりと下品な笑いを浮かべた。シリウスはグレイバックを睨みつけていた。
私は母親に抱きしめられながら父親とグレイバックを交互に見やった。『人狼』と言う言葉をその頃の私は知らなかった。
「俺達をあの御方は受け入れてくれた、人狼だということで迫害されてきた俺たちをだ。
だから、俺たちはあの方だけは裏切らない。もしあの方に裏切られたとしても、俺たちは恨まないさ。」
記憶に残るグレイバックの言葉はどこか悲しみを持っていたが、その頃の私はそんなことまったく気にならず優先されるのは恐怖だった。
リーマスは人狼・・・?あのグレイバックと同じであるというのだろうか。
成長するにつれて人狼についての知識も増えた、人狼が偏見によって差別されていることも知った。
偏見は間違っている、彼らは私たちと同じ人間であり、満月の夜だけが危険だと言う事だってわかっている。
けれど、あの出来事以降私の中では人狼は触れてはいけない一種のタブーのような存在として残っていた。
更に純血思想のブラック家では人狼は穢れているとされていて、そんな環境におかれていた私は近づいてはいけないものとして人狼をインプットした。
知ってしまった、知りたくもなかった彼の秘密を勝手に私が握ってしまったことに対する罪悪感が積もっている。
ああ、これから私はどうやって彼と接すればいいのだろう。
二度ねする事などできず悩めば悩むほど思考の渦に巻き込まれた。
リーマスは治療が終わったようで寮へと帰っていった。毎月リーマスはこんな風に医務室に来ているのだろうか。
可哀想だと思うし彼は優しい人間だと言うことも私は知っている。けれど人狼に対する恐怖はそれだけでは拭えない。
次にリーマスとあったとき、もしかして逃げ出してしまうのではないかとも思う。
理由も知らないリーマスは傷つくだろうし、理由を聞いてもリーマスは余計に傷つくだけだ。
「どうしてあの子だけこんな目に遭うのでしょう」
静寂が支配する医務室でマダムの呟きがやけに耳に残った。
朝日が空に昇り暗がりは消え、窓の外からは朝のざわめきが聞こえ始めた。
このことをシリウスには伝えるべきなのか、シリウスはリーマスが人狼であることを知っているのか分からない事だらけだった。